物事には必ずしも理由が必要ではない。燻製のチーズが美味しいのがまさにそれだ。理由がわからないが美味い。理由なんてどうでもよくなるくらい美味い。
そうきっと、必ずしも理由が必要ではない理由としては、理由なんてどうでもよくなるという理由が必要なのだと思う。
大天使ハヤエルの天界から来ました。vol.19
何かをするにあたって理由は必要なのか問題
人は安心を求める生き物だ。だからこそみんな、言い訳を欲しがる。
みんなどこかで不安なのだ。だからこそ正当化したい。そのために理由を欲しがる。何かにつけて理由を付けたがる。
自分が理解していると見られたいから、物事の理由を自分なりにこじつけ主張する者がいる。
逆に批判をしたいから、相手の行動の理由をこじつけ、そこを否定するに足るだけの理由を並べる者もいる。
世の中、NoReasonで居ていいのはコカ・コーラだけなのかというと、もちろんそんなことは無い。
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理由を欲しがりすぎる人は感情をおろそかにする感情を持っている
人はどうしても感情に逆らえない部分がある。本能的に動いてしまう、信じ込んでしまう。そんなことは頻繁にある。
自分の経験としてそれを理解しつつも、理由を欲しがる人はそこにもこじつけた理由を用意してしまうから、理由が前提で動いていると思ってしまう。
目標があるから人は行動できる。目標やゴールをまず設定すべきだという人がいる。もちろん自己分析を経てそこから計画立てて行動するとすると、目標やゴールが先に設定できる。
しかしながら、世の中すべてがそうはいかない。というか、そういかなくてよい。
目の前で人が倒れたから駆け寄る。その時に心配だからとか助けたいからだとか、良く見られたいだとか、そんな理由は必要だろうか。強いて言うなら気になったから駆け寄った。その程度で構わない。
この行動に対して理由が先行しているかと考えると、そんなこともないと思う。駆け寄りたいなと思ったから駆け寄っただけのことです。
燻製チーズは美味い。理由は美味いからだ。
私は燻製のチーズが好きだ。燻製したからといってどこがどう美味くなるかは知らない。
燻製していない普通のチーズも好きだし、燻製したベーコンも好きだ。でもじゃあ桜チップの香りが付いているから好きなのかと言ったらそういうわけでもない。
香りが付いているから美味い?少し加熱されていて凝縮されているから美味い?
もしかしたらそうなのかもしれないが、実際のところそんなことはどうでもいい。美味いから美味いんだ。これでいい。
ここまでいくと理由なんてどうでもよくなる。様々なメカニズムはそれを発展させようとする人間が分析して役立てればいい。
その分野において、いち消費者であることを決めたのであれば理由なんて考える必要はない。受け取ったときの感情だけで十分なのだ。
これは30年物のワインだから美味しいんですよと言われて飲むとなんとなく違う気がすることはある。
しかしどのワインを飲んだって苦いか渋いか甘いか酸っぱいかくらいの感覚しか持ち合わせていない私としては、口に合うから美味いという理由だけで十分。
そんなことをスモークチーズを食べながら考えていた。
燻製するだけで深みが増すなら、私もどうにかして燻製してもらえないだろうか。
以上、『必ずしも理由が必要ではない理由としては、理由なんてどうでもよくなるという理由が必要なのだ【vol.19】』でした。