私には先見の明がない。先見の明はメイって読む。
こうした方がいいんだろうなっていうことを実行する勇気が無い。だから例えば未来が想定できたとして、良い方に転ぶ未来を選べるかと言うと、たぶんできない。
怖さや恥ずかしさが気になってしょうがない。だから過去には何もできなかった。
最近は、「今」を楽しむことに集中してる。未来がどうとか関係ないのよね。まあほんとは関係ないことは無いんだけど、今が最大限面白くなるように生きるようにしてる。
そうすると、一歩先の今が面白くなるようにその一歩手前の今、努力をするわけだから、ずっと面白い時間が続くようになる。
この努力した今が続いた先に、心地よい時間があったなら、今日を通り越して去年、一昨年、10年20年30年前の自分も許してあげられるんじゃないだろうか。
この日のために失敗して、この日のために後ろめたい思いをして、この日のために苦しんだと思えるくらい素敵な時間が手に入ったときにはじめて自分を許せるようになると思う。
ここ数日、マインドセット「やればできる」の研究という本を読んでいて、自分は硬直マインドセットだなと気づかされた。しなやかマインドセットになる努力をしないとね。
こう生きるといいよと書いた本や科学本を沢山読んでいるのは、いい努力をしたいからなんだよね。その背景には自分は良い生き方ができていないという想いがある。
こういう想いがあると、何をしていても苦しい。何をしていても間違っている気持ちになる。自分を責めるどころか否定してしまう。そして生きること自体が悲しくなる。
それが嫌なんだよね、ほんとに。否定されることが苦しくなると意見することをやめるようになってしまう。そして無関心になっていく。
とてももったいないなあと思うから、いい生き方をするためにはどうしたらいいかを調べてる。もうわからないことは調べるしかないと思うから。
でも調べたところで3/4くらいは無駄になっちゃうんだよね。どうすればいいかわかっていても、実行出来ない部分があるから。いい加減自分のために生きられるようになんなきゃね。もう30歳だもの。
良い習慣を続けていれば良い未来が待っているのかなんてことは私にはわからない。先見の明を持っていないんだもの。
【大天使ハヤエルの天界から来ました。】先見の明【vol.28】