未分類

原点は小学校にあり?

人付き合いが苦手だ。
出来る出来ないでいえば出来ている方だとは思う。
けれども集まりに参加したり人に合わせて行動したりというのがどうにも面倒くさい。

ゆえに長い付き合いの人が多くなるというのは必然というか。
新しい情報を自分から提供する必要が無いのがいい。
会員登録のたびに住所や電話番号を入力しなおすようなわずらわしさが無い。

 

先日思い切ってFacebookを更新した。
旧友である級友たちにどんな小学生だったのかを聞きたくて。
するとすぐに一人から連絡がきて飲みに行くことに。

しこたま飲んで話して7時間ほど一緒にいた。
昔の話をしつつ、いまみんなが何をしているか聞いた。

当たり前と言えば当たり前だが、飛びぬけてすごい奴なんで出ているわけもなく、
それなりに仕事して結婚しているひとばかりだった。
その輪の中に居たら同じくなれたんだろうか。
同じく居れなかったからその輪の中に居られなかったんだろうか。

小中学生の頃の自分についてあまり覚えていない。
何があった誰がいたというのは薄っすら覚えているが、自分がどういう人だったのかを知らない。
知らないのか忘れたのか忘れるようにしたのか。
記憶喪失のジレンマだ。

高校については全く覚えていないし、蓋をして封印したのを覚えている。
思い出さないようにしているし、触れないようにしている。
悪い過去だから触れるなとでっかく書いてある。

中学校は嫌だった部活に通い続けるという日常だったはずなので自分の時間は少ない。
義務教育下で行う部活動なんて訓練と一緒で、結局のところ学校というのは公務員養成のための塾でしかない。

小学校はどうだろう。
ミニ四駆にハマり、ビーダマンにはまり、ポケモンにハマり、N64にハマった。
そういう記憶というか記録があるけども学校ではどんな子だったんだろう。
誰か覚えていないだろうか。

そこからヒントを得て何かに生かせたら面白い。
いや、何もなくても良いんだ。
結局のところ僕の自分嫌いは過去のどこかから来ている。
それがどこなのかわからないから探し回るしかない。
絶対に嫌な思いをすることになるけども、自分自身の嫌な部分と戦うしかない。
戦って打ちのめしてやろう。そう決意した。

これを機に小学校の同級生たちに機会を見つけて会っていこうと思う。
今はweb会議もある。
文章だけだとどうしても淡白になる部分があるだろうからなんとか会話したい。
なるべく多くの同級生と会話して少しでも楽しめたらラッキー。
物書きとしてはそれがネタになってくれれば御の字である。