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自己肯定感の低さに対処法なんてない。

自己肯定感とか自己承認欲求とか。
色んな言葉があるけども、自己を自己として認める、受け入れることが出来ない。
同じ気持ちの人はいるかもしれないけど、今回はあくまで私の話。

少し話したくなって書き始めた。
自己肯定感、自己承認欲求。こんな言葉だからわかりにくいんだろうな。
小学校高学年くらいになるとよくわからない熟語に憧れて、作文が感じで一杯になる感じ。
まとめすぎてかえって意味として通っていないような気がする。

私を私として認められない。
それでいいんだと言ってあげられない。
何をしても自分すごいな、よくやったなだなんて言えない。
もっとうまく出来なかったかなとか、やるんじゃなかったとか。
そういう気持ちばっかり浮かんでくる。

誰かに認めてもらいたい。
でも本当に誰かなんだろうか。
外の人間に認められることで達成するんだろうか。
いや、たぶんそれじゃいけないんだと思う。
自己を認めてほしいのは自己なんだと思う。

この自己肯定感もどきとの戦いが自分自身を苦しめ続けている。

“圧倒的な”実績が必要

時には暴力でしか解決しないことだってある。
量でしか解決しないこともある。

それと同じように、きっと自分を屈服させるほどの実績が必要なんだと思う。
いつまでもいつまでも斜に構えている。
いつのどの時点の自分が基準なのかわからないがもっと出来て当然という自分がいる。
センスもあって才能もあって実力もあると思っている。
プライドとは別の何かが高い。

上には上がいるというのはわかっている。
けれどもその上も少し努力すれば超えられる、あるいは超えられたと思っている。
そういうフシが私にはある。

大谷翔平にだって、小さいころに野球を始めていたら勝ててただろうし。
藤井聡太にだって、小さいころに将棋を始めていたら勝てただろうし。
ただそれをやらなかっただけ、突き詰めなかっただけだ。
って思っている部分がある。

どうしようもない大きな挫折ってのをしたほうがいいんだろうね。
君、全力でやったじゃん?って。
その上でダメだったよねって。
もしくは本当にでっかい実績を作って、すげえじゃんお前って。
どちらかしかない。

どちらにせよ圧倒的な量をもって自分をぶん殴るしか解決方法はない。
何をしようと自己肯定感もどきは納得しない。
屈服させるしかないのだ。

vs自分というと安い自己啓発感がある。

昨日の自分を超える。
一番の敵は自分自身。
そういう薄くて安い言葉がある。
あれがものすごく嫌い。

嫌いだけど、あの熱量とは異なる熱量が必要。
自分を屈服させる。
これを目指す必要がある。

VS自分、殺すつもりで、貶めるつもりで。
ざまあみろってこいつに言ってやる。
そういうつもりで何か実績を残さないといけない。

そうなると今の生活のままじゃいけないので、職を変えるなり起業するなりしないとな。
ブログも頑張りたいし本も書きたい。
ちょっとでもやりたいことを全部形にできるのが大人。だと思う。

書いてはみたけど何も解決しなかったな。