人に理解されないとか、認められようとか、そんなことで悩んでいるなら、
今日からやめましょう。そういうことは考えなくていいです。
理解されやすく、評価されやすくアピールするのは、
それを手に取ってもらい利益を得る商品だけで十分です。
そんなことばかりに気に取られていては首がどんどんしまっていく。
首を絞めるのに慣れていくと、ほんとに絞めなきゃ気が済まなくなりますよ。
本当の意味で人に理解されるのは無理
あなたの心が理解できるなんていう人は信用しない方がいい。
僕にもそういう時があるなあくらいならまだしも、
わかる、私も同じ気持ちと言ってくる人は信用しない方がいいです。
相手はあなたじゃないし、あなたもその相手ではないのです。
だから理解されるなんて不可能。
なんとなく手に取るようにわかるときがあっても、それはそれです。
ピーマンばっかりいつも食べる人が居て、ピーマン好きなのかなって思っていたら、
ピーマンを克服したくて練習しているっていう答えが返ってきたことがあります。
人に理解されることなんて無いんだよ、他人を理解することはできないんだよ。
そういう前提を抱えていれば、「人に理解されない」だなんて悩むことはありません。
あなたは、あなたです。それで十分。
理解と共感は異なる。
ストーリーを聞いて、背景を知って、自分だったらと重ね合わせて、
大枠でとらえた喜怒哀楽が一致する。それが共感だと思います。
共感は必ずしなければいけないものでもないです。
共感性羞恥という言葉もあるように、半ば強制的に感情が重なることもあります。
理解とか共感とか言うから、そこに解釈のゆらぎが生じて、
そのゆらぎの中で悩む人ってのが出てくるんだと思う。
だから私は、「把握」という言葉に置き換えて考えるようにしています。
そういう考え、そういう気持ちを持ったのね、把握しました。
といった具合にある意味機械的な処理をすることでお互い傷つかずに済む。
楽をしたい、傷つきたくないという考えが前提の私は、
こういう考え方に行きつきました。
評価されるのは技術であり、才能。
どうしても評価されない、同じことをやっているのにあいつの方が評価される。
そんなこと、生きていたらごまんとあります。
ただ、その評価、そこまでして本当に欲しいものですか?
評価というのが技術です。よくできているように見せるという能力が必要になります。
もっというと、よくできていなくてもよく出来ているように思わせればいい。
となると、もうこれは催眠や錯覚の類になります。
可愛くておしとやかな巨乳が書類を持ってきたとして、
誤字脱字が多少あったとしても少し直しを入れてオッケーが出がちです。
口が悪くて陰口ばっか言ってる好みでもない人が書類を持ってきたとして、
たとえ完璧だとしてもどこか間違っていそうだなって思って見てしまいます。
極端な例かもしれません。なんだよ結局容姿かよって話じゃないです。
信用や評価ってのは作れるんだよって話。
そして作った方が生きやすいのは確かなんです。
それを私たちは子供のころから知っているはずです。
じゃあどうするかというと、結構簡単なことです。
評価軸を自分の中にしか置かない。これに限ります。
自分で自分を評価する、自己評価の世界で生きましょう。
厳しすぎても甘すぎてもあなた基準だから大丈夫。
その基準を超えたときに一定の満足感を得られるところに軸を置いてください。
他人からの評価=客観的?
よくこんな嘘を付く人が居ます。
「他人が見てどう思うか、客観視してください。」と。
これは嘘なので、今すぐこの考えは捨ててください。
客観的というのは文字からいくと客が観てどう思うかなのですが、
自分という存在を一歩離れて見て考えるというものです。
他人が見るのと何が違うかと言うと、
他者の感情がそこには必ず入ります。
今日気分が悪い、昨日寝不足、先週恋人と別れた、現在母が危篤。。。
そんな感情が相手に入っていて、さらに自分に対する好き嫌いも含まれる。
それをもとに自分を見ることに何の意味がありますか?
客観視自体は否定しませんが他人から見てどうかは考えなくていいですよ。
評価の軸の作り方のコツは3つ。
- 自分が満足いく基準になっているかどうか
- 自分の中の善悪の基準を満たしているか
- 基準を評価する機会を設ける
1つめはいいとして、2つ目は結構重要。
何をやるにしても、やったあとに後ろめたくならないようにしてください。
3つめは甘すぎ厳しすぎに対して本当に大丈夫?と考えることです。
結果的に満足感に直結するので、おかしいなと思ったら見直すのがいいと思いますよ。
あなたの人生はあなたしか生きられない。
ともに歩もうは不可能です。
そう決意した瞬間に、相手の小学校のテストの点数を書き換えたりは出来ません。
共感も理解も評価もそうですが、他を気にしすぎることは無いのです。
ちょっと暇だな、でも気楽だな。
そう思える時間を少しずつ増やしていくのが、よりよく生きるコツだと思います。