随筆

コミュ力はあるけど社会不適合者なんだと思う

世の中にはいろんな人が居るもんで、逃げ場を見つけるために都合の良い言葉でカテゴライズする。レッテルを張ってしまった方が自分はこういう人間なんだと言いやすい。
こういう人間だからダメなんです許してね、と。

そんな甘えは許しませんぞと言いたいところではあるが、僕も例に漏れず同じ技を使う。
最近多いのは「おじさん」だ。おじさんだからで許してもらおうという気が満々である。
新しいことを迎合せず学ぼうともせず、取り残されることを良しとしている。
時代だから、世代だからで済ませようというなんとも卑怯な人である。
しかし今回はおじさんの話ではないので、この話はどこか別のところに回そう。
良い話題が見つかってほっとしている。

さて、コミュ障という言葉がある。これがなんとも便利な言葉だ。
コミュニケーション能力に障害があるという、まあ例えみたいなもので。
上手にコミュニケーションが取れないですよという人のことを言うのだと思う。
ひとまずそう定義して話を進めていく。

挨拶があまりできず、聞かれたことにうまく答えられない。
話題を紡ぐことが出来ず、雑談もすぐに終わってしまう。
こんなの、障害と言えるだろうか。
なんとなくノリで上手いことやれそうな気もするが本人たちが言うのだから仕方ない。
本人たちが言うんだったらそれ以上踏み込むのは止めましょうというのが今の風潮。
信じるとか信じないとかではない。

障害というところまでいくのであれば、おはようと言われたけど挨拶だとわからないとか、
「おはよう」に対して「午後から雨みたいですよ」と返したりとか。
「兄弟はいるの?」と聞かれ「昨日はビーフシチューでした」と答えたりとか。
そこまでいくと、ああ障害か、気を遣おうってなるんだけどね。
どうやらこういうのとは違うらしい。

さて僕はと言うと、挨拶はなるべく自分からするし、ありがとうとすぐ言うし。
同僚のことを褒めるしメールやLINEのやりとりもポンポンと進む。
上司の前では小生意気な部下を演じることもできるし、冗談で場を和ませたりもする。
なのでどちらかと言えばコミュニティ能力はある方だと思う。
口も上手いと言われるし、文章にある程度自信が無ければブログなんてやっていない。

とはいえ、僕は社会不適合なフシがある。
適合か不適合かというのは障害かどうかよりもわかりやすい。
社会に適合しない、つまりうまく馴染めないのだ。
溶け込めるけど馴染めない。それが僕の言うところの不適合だ。
簡単に言えば協調性が無い。特に、思想的な部分で。
人を見下すとかではない。
そりゃあ差別もするし嫌悪もするよ人間だもの。でもそれを当たり前に良しとしている。
何でも許し、分かち合い、認め合う社会が嫌いなので居心地が悪い。
そういう今の社会に対して僕は不適合だと胸を張って言える。

僕の信念は「自分の正義に従う」ということにある。
僕が悪いと思ったものは悪い。そこに判断基準がある。
時間を守るのも苦手だし、集団行動もしたくない。でもどちらもできる。
できるけど、したくないというのは不適合だと言えると思うんだよね。
だって根っこの部分ではしたくないんだもの。

社会不適合者はSNSなんかやるな、ハマるな。

社会不適合者のみなさん、今すぐSNSやめたほうがいいよ。
ハマらなきゃいいんだけどさ、ちょっと見てる時間を減らした方がいい。
きっと合わないから。

僕はもう何個SNSをやめたかわからない。
めんどくさいんだよね、あれ。
見て見てーっていう自己顕示欲の塊みたいなのに対して「いいね!」ってするあの感じ。
自己承認欲求を満たすためにいいねをカツアゲするあの感じ。
気持ち悪いじゃん、そういうやりとり。

かといって空気壊して返答するのもだるいし。
ましてや現実社会で繋がっている相手だったらなおのこと面倒になるし。
服だせえなとか、タグ多すぎねえかとか、そんなに可愛くねえぞとか。
言いたいことをグッと飲み込む場になるじゃん。

やめろやめろ、そんなもん。
僕はやめたよ。
たまに検索で使うためだけにアカウントは残してあるけど更新はしてない。
Instagramを最近薦められたからアカウント作って写真載せたりはしてるけど、他人のところは見に行かない。
少しでも離れることを勧めるよ。

合わないことからは距離を取り、自分の時間を過ごせ。

難しいんだけどさ。
すげえもったいない気はするんだけど、自分の時間を過ごしてみることを勧めます。
社会不適合だなあって悩んでる人に特に試してほしい。
いいぞ、自分の時間。

そして自分の時間の良さに気づいたら、生きるのが面倒にならない程度にその時間を拡大しよう。
生きるのが面倒にならない程度ってのが大事。
自分の時間を優先するために極端に他者とのかかわりを無くしちゃいけない。
そうすると日中苦しくなるから。
大体で、なあなあでやり過ごしたうえで少しずつ増やそう。

絶対あるから、自分の時間での楽しみ方。
少し贅沢な使い方でいいよ。
横になりながらビール飲むとかでも良いから。
気になる本だったり漫画だったりを買って読むでも良いから。

馬鹿な自己啓発みたいなことは言わないよ。
自己投資という言葉に惑わされて何万も使った経験があるから言うよ。
勉強なんか学生時代にだけすりゃ良いんだよ。
増やすべきは資格でも能力でも趣味でもない。
時間つぶしの選択肢だ。

何をして時間を潰すか。
そしてそれを有意義に感じられるかどうかだ。
僕は本を読んだり映画を観たりすることが好きだと思っていたけど、
コーヒー飲みながら文章を書くのが一番好きだということに気づいてそれを続けている。
自己啓発本だったり勉強系の本が好きだと思っていたけど、
エッセイが好きだと気づいて読みたいものを読むようにしている。
小説を読むのが苦手だと思っていたけど坊っちゃんは楽しく読めたという経験もある。

人それぞれ違うから。価値の置き場は。
だから自己投資しなきゃならないだなんて焦らなくていい。
人を人脈としか見れないような人にはなるな。
ノートに書くのは気になること。ノート術なんていらん。
買い物メモ、欲しいもの。なりたい姿とかやめたいこと。そういうのを書けば十分。

世の中色々間違っている。
弱きものを惑わそうとしすぎている。
惑わされんな。相手は同じ人間だから。刺されたら死ぬから。なんも怖くないから。
こんな間違っている社会に適合する気はありません。

そこそこコミュニケーション能力はあるけど、これからもずっと社会不適合でいいもん。
今作ってるコミュニティ、全部爆ぜろ。
僕だけ生き残ればいいよ。それが地球にとっての幸せだ。

なんでも出来ないことを障害という言葉に逃げようとすることも、
自分を受け入れてもらえないことを周りのせいにしてかわい子ぶることも、
僕の社会では許しません。
出来ないなら出来ませんと認めりゃいいし、
受け入れてもらえないなら受け入れてもらえないことを受容すりゃいい。
僕はそう思う。
だから僕はいつまでもこの社会の不適合者で居ようと思う。
そうあることを誇りに思う。