去年の今日、何を考えていたか思い出せない。
何も考えていなかったなんてことはないだろうから、それなりに悩んで、それなりに考え事はしていたんだろうけど、これだ!ってことは思い出せない。
去年の11月にこんなことがあったなあなんてことは、思い出そうとすれば思い出せるんだけど、正確に去年の今日に何を考えていたかなんて言うのは出てきません。
私、今年で30歳になったのですが、学生時代の記憶がほとんどありません。
思い出ってのが人より少ないんだろうなとは思うんだけど、そういう話じゃなくて。
辛かったなあ、苦しかったなあとか、学校行きたくなかったなあとか。
そういうことは思い出せても、歯食いしばって苦しんでいたことなんかは全部忘れています。
そう考えると、今色々悩んでいることなんかもきっとちっぽけなことなんだろうね。
人生において悩みはちっぽけであるが、決断が与える影響は大きい
色々悩んだ内容というのは、どうも記憶には残らない。
けれども、悩んだ末なのか勢いなのかは別として、その時選んだ決断がその後の人生に与える影響というのはとても大きいものである。
経験を積むだとか、知識をつけるだとか、色々言うけれども、やっぱり大切なのは決断だと私は思う。
決断する回数が多い人ほど大きく成長しているように思えます。
セーブポイントは多い方がいい。目印があった方が戻るのが楽です。
でもね、記憶に残らないからといって、じゃあたとえばUSBメモリのようなものがあって、そこにデータとして残せたらどうだろう。
私はたぶん使いこなせないと思う。なぜなら、わざわざ見返そうとしないから。
面倒なんだもの、振り返るのが。
あの日あの時あの場所で何が起きたのかを正確に調べたところで、大した感動は得られない。
重要なのは記録ではなく印象だ。「何」だったかではなく「どう」だったか。
正確なデータではなく、強烈なイメージ。
それこそが人生を豊かにするものなんだと思う。
人は過ちを繰り返すと言います。
人は忘れる生き物だとも言います。
大半のことは忘れてもどうにかなるもんです。
というか、今を生きれるのであれば忘れちゃいけないことなんてないと思います。
みんな自分に厳しすぎよ。もっと自分に都合よく生きましょ。
時間はたしかに有限で、貴重なものではあるけれど、シャボン玉みたいなもんです。
その時はキレイだなんだと楽しんでいても、玉にならなかったのがいくつあったとか、一吹きで何個作れたとかは覚えていないもんです。
大きくできた、あんなに高く上がった、風がとても強かった。
そういうことしか残らないものですよね。
普段の悩みもきっと一緒。
どれだけ悩んで苦しんでも、決断したことや選択したことくらいしか後に残りません。
そう考えると、どうしようか悩んでいる時間よりも、早く決断しちゃってどうなるかを見ちゃった方が、有意義なんじゃないかなと思います。
まあでも、全部の記憶を落とし込める外付けハードディスクみたいなものが出たらちょっとほしいけどね。
そしたら6歳くらいから健康的な体でやり直せそうだもんね。
別の脳に自分の脳の情報をインストールできる時代が来たら、ある意味不老不死の完成かも知れない。
以上、『【大天使ハヤエルの天界から来ました。】USBメモリがあったところで使わない【vol.9】』でした。