てんきた

哲学ってのは行きつくところは屁理屈なのかもしれない。【vol.15】

人間の正しい生き方だとか、生まれた意味だとか、そういうどこまで言っても面倒くさいだけのことを考えるのってのが結構好きでして。

答えなんか無いのにずっと考えていられる。明確な答えというか、終わりが無いから続けられることなのかもしれない。

1000回遊べるRPG!という謳い文句のトルネコの大冒険、一応終わりがあったけど楽しめたもんね。やってることは単純なのに。個人的にはドラゴンキラーが好きです。はぐれメタルの剣とか怖すぎてずっと預けていたもんね。

でも、正義のソロバンを手に入れたときのやってやった感って感動するじゃない?きたぜ最強だぜ!バイキルトつぎ込んでやんぜ!みたいな。とはいえ、大体そういう時って空腹になってて、2回攻撃してくるような奴に挟まれて詰むんだけど。

話がそれました。終わりのない話ってのも面白いよねって話がしたい。

大天使ハヤエルの天界から来ました。vol.15

生きるというのは死ぬまでの時間の暇つぶしである

物事をあまり小さく考えても仕方ないよなというのはなんとなく子供のころから思っていて、じゃあ逆にできるだけ大きく考えることが出来たら楽しいのだろうかと何度も試してみたことがある。

ほら、海はあんなに広くて空もあんなに広いんだ。そんな悩みなんてちっぽけだろう?

とかっていうアホがよくいる。その海を見ている自分の存在が自分にとっては最も大きいはずで、その自分の中を占めている悩みなんだから海や空なんて比べ物にならないくらい大きいじゃないか。と良く思うのだけど、その考え方を交えるとごっちゃになるから一旦外しておいて。

地球はこんなに広くて、お空はあんなに大きいんだ。だから気にしなくていいじゃないかという発想は、実際のところ結構危ない。それを体現しているのが私だ。

気にしなくていい、関係のないことというのが一気に増える。大きく見すぎるせいで、すべてのことがコートの上の塵のように思えて一気にどうでもよくなる。関心意欲が薄れ、態度に現れる。本当によくないからみんな気を付けてほしい。

たとえば、上司に怒られてもなんとも思わなくなる。お前それはおかしいだろと言われ、うーんでもお空はこんなに広いからなあなんて答えたらぶっ叩かれる。でも、心の中でそう思っていたら実際のところ一緒なんだよね。

とても早口で顔を真っ赤にして喋っているけど、君も空気が無いと息できなくなるんだろう?大きく見たら同レベルじゃないか。なんて感じにみんなが考え始めたら、色んな事が機能しなくなる。

なので、「怒る」という役割を担ってくれている人は現状を支えてくれているんだと思う。現状からずれたり想定から外れたりしたときに怒る人がほとんどなんだから。

 

哲学は屁理屈なのか?

生きるって何だろうって考えることを哲学なんだと定義したい。古代に哲学者が多いのは、今以上にすることが無くて暇だったからなんだと思う。

スコラ哲学のスコラってのも暇って意味だし、それを語源としたスクールなんかも働かない人が集まって暇つぶしをするところみたいな感じかなと思う。

そう考えると、勉強だって暇つぶしみたいなもんだし死ぬ気になってやるようなものでもないと思う。

とかって考え方をやっちゃうと、大体のことを頑張らなくてよくなるし、大体のことを気にしなくてよくなる。一瞬で人間は自由になる力を持っている。気にしない奴ばっかりだともちろん社会はぶっ壊れちゃうから、気にしいな人々には一定数いてほしいものです。

気にならなくなりすぎて没頭しなさすぎるというのも結構寂しいものです。プツンと糸が切れたように急にどうでもよくなる。一旦どうでもよくなると、その後ずっとどうでもよくなっちゃう。私の悪い癖です。

熱がなくなるのよね。でも思い返すとそれは、ただ暇なだけだったから。

暇つぶしだっていいじゃない。どうせなら熱中できる暇つぶしをしよう。

生きるというのは死に向かう時間のことであるというのが私の結論。

生まれた瞬間に与えられるんです、死ぬまでの暇な時間を。なぜだか大人になるにつれて、周りの人の時間も支配して、制限したくなる。契約を交わしたり、力で押し切ったり。法律で他者を支配したりもする。子供のうちは周りの大人から制限をかけられる。

でもみんな心の中では知っているのよね。何やってもいいんだって。知っているけど怖くてできないもんです。いいのよ、できなくて。それが普通。社会に生きるものであり、法治国家なんだから普通です。

できるんだって気持ちだけは持っておいてほしいし、なんかやってみたかったらやるべきだと思うんだよね。たとえ多少周りを傷つけることになろうとも、臆病になってなにもせず人生を終えるんじゃつまらないもの。

人生というのは死ぬまでの暇つぶし。つまり、人生はつまらないものだというのは正しい。

人生はつまらないものだ。さて、いかにして楽しもうか。

そういう考え方をできるようになると少しは楽しいのかなと思います。仕事でも家庭でも熱中できるものを探し、人生注いで魂かけて走り続ける。それが一番充実して過ごしている人の姿なんじゃないかなと私は思います。

ちなみに私は、こうやって文章書いている時が何よりも充実していますし、文を書いたり喋ったりすることに最も熱を入れています。

以上、『哲学ってのは行きつくところは屁理屈なのかもしれない。【vol.15】』でした。