口がよく動く。よくしゃべる。常に口ずさむ。
人によってはうるさいと思うだろうし、
勘違いした奴は「話すのが上手ですね」なんて言ってくる。
なぜかはわからなかったけど、昔からずっとこの習慣があって、
大学くらいの時にストレスという言葉を知って、そのせいなんだと理解した。
他人よりどうだって自分を評価したりするつもりは毛頭ないけど、
喋ったり、歌ったりしていないと不安につぶされそうになる。
体の中から外に出していないと、閉塞感で死にそうになる。
だから、リラックスできない関係の人といると息が詰まる。
バレないようにしようとする呼吸が全てため息に変わる。
それがまた相手に不快感を与えて、イラつかせる。
だからまたひっそりと、ヒューヒューと岩陰で静かに呼吸をする。
物音を立てたら撃たれてしまうから。
話を聞いてくれない人とは話したくない。
話を聞いてもらえないというのはとても悲しい。
相手が話しているときは最後まで聞くというのが当たり前だと思っていた。
途中で遮って反論をしてくるのは一向にかまわない。
けれども、全く違う話をねじ込んできたり、
こちらが話しているのに全然違うところに気を取られる人がたまにいる。
そういう人とは話したくない。
興味が無いというのをこれでもかというくらい体現されている。
少なくとも私はそう感じる。
だってそうじゃない、興味があったら聞くでしょ。
人見知りとかコミュ障だとかいっても、興味があったら聞く。
目を見て話せないからとか、そういうレベルじゃない。
下を向いていても、うなずいたり、相槌打ったりはするよ。
でもそれすらもせず、スマホを見たりする人がいる。
そういう人はもう隠すのは無理だから、正直に興味が無いと言ってほしい。
こちらだって誰とでも話したいわけでもないし、
興味が無い人に面白いと思う話をしたくない。聞かせたくない。
幼少期から楽しいことと言えば会話だった。
喋るのが好きと言うと、一方的に言いたがりかと思われがちだが、
相手の言葉を聞いて、自分の考えも合わせて、
その場で組み立てていくのが楽しいので、好きなことは会話だ。
小さいころからそうで、間をつないだり新しい提案をするのも、
もっと考えをぶつけて話し合いたい、言葉を合わせたいからだった。
話をして、わかり合えて、一緒に笑うのが何より楽しかった。
小学生の頃、体を動かして色々するよりも、
カードゲームだったり、ミニ四駆だったり、
座って相手と近い距離で共通の話題を持って話しながら何かをするのが好きだった。
テレビゲームもそう。
逆に野球やサッカーなんかは人との距離が遠くて楽しくなかった。
近くの選手と喋りすぎてボールを見失うことが多々あった。
ある意味病気なのかもしれない。
今は、自分と対話するのが楽しい。
結果として行きついたのは、自分と対話することだった。
頭の中でずっと会話していることがある。
あれはあの方がいい、ああしたらよかったというものもあれば、
もしもああだったらどうだろうというもしもシリーズも始まる。
それがどんどんでっかくなって、漫画やドラマのストーリーが生まれると、
自分で作ってる話なのに、続きが気になって仕方なくなることがある。
どうなるのこの後!みたいな。
自分で作っているストーリーなのに、自分の予期しない展開になって。
でもそれを文章に起こそうとすると、大抵忘れる。もったいない。
つまんなそうな顔をしていると言われることがある。
会議中とか、ミーティング中とか、職場の人との飲み会とか。
大抵そういう時は自分の中での会話に集中している。
外側の会話が楽しくないし、私に話しかけているわけでも無いし。
何かを聞かれたら答えるけど、愚痴とか自慢とかどうでもいい。
あいつが酷い、あれは最悪だった。とか言われても興味が無い。
それを伝えてどうしたいの?と思う。
どうしたの、元気ないねとか、話聞いているのか?と聞かれると、
最近は正直に言うようにしている。興味が無いですと。
会社でチクリとそれを怒られたことがある。
話に興味を持てって。いやいや無理なのよ、そんなの。
私の手の届く範囲に無い内容を話しているときに、
それに興味を持つ意味がわからないもの。
難しいですねと答えたら相手も折れたからよかったけど。
自分との対話にはノートが使える。
日記を毎日書いている人はすごい。
私は書きたくなった時にしか書かない、ときどき日記を続けている。
1日2回書く日もある。ルールは「ここに書いていいよ」ってだけ。
ノートに語り口調で色々書くと、少しスッキリする。
話を聞いてもらえないなと感じたときは特に。
ブログもSNSもいいんだけど、外に発信する分どこか気にしちゃう。
ノートなら大丈夫。誰かに見せることを考えなくていい。
他の人からの評価が挟まることもない。好き勝手言える。
もっと喋っていいんだよ。
今窮屈な思いをしている人はみんな、話し相手が足りていないんだと思う。
孤独を楽しむとか、強き者の論理を振りかざす人が居るけど、
普通は勝てないよ、疎外感には。
だからね、同じような気持ちの人は、なんでもいいからノートに書こう。
お風呂に入って独り言を話そう。
一人になれるところで、誰にも関与されないところで、
安心してモノが言えるところで話そう。
そして自分の言葉に耳を貸そう。
聞いてくれる人がたとえ自分だとしても、一人いるだけで全然違う。
少なくとも私はそうして乗り切っている。
会話の重要性が理解できる人としか一緒に居たくない。
話すことってとても大事。
私の中では特に。たぶん、衣食住より大事。
幸いなことに、今残っている5人くらいの友人は、みんな話すのが好き。
二人だろうと三人だろうと気まずくならずにずっと喋れる。
街中を歩いて、商品を見るだけで、メニューを見るだけで、
道行く人たちを見るだけで、何時間も話していられる。
そういう友人が残っていることは幸せなことだと思う。
しかし、社会人になると彼らと毎日会って話すのは難しいし、気持ち悪い。
手放しで会いたいぞ!と思えるほどまっすぐに生きていない。
面白いなと思ったことやネットニュースの内容を、たまに連絡する程度。
だからこそ、自分で自分の話し相手を用意する必要がある。
誰も話を聞いてくれないだなんて外に求めるよりも、
自分が話し相手になってあげる方がよっぽど早い。
めんどくさがりにはおすすめです。
過度に外側に期待せず、自分の出来ることで楽をする。
自分の話し相手が自分でもいいと思う。
で、時間が合う時には話してくれる友人と会う。
結局それが一番楽しいんだよな。
何かをするんじゃなく、会うだけでいい。
会話の重要性がわからない人とは距離を置いて、
会話を楽しめる人とだけ過ごせたらきっと幸せなんだろうね。