随筆

連休中に何もしなかったからと言って責める必要は全くない

連休、まもなく終わります。最終日の5/6に執筆しています。
充実した連休を過ごした方は世の中にいると思います。
計画通り過ごしたという方もいるでしょう。しかし、

何もできなかった。
ゴロゴロして終わってしまった。

という思いで終えようとしている私のような人もいるはずです。
この記事はそういう方向けの、何もしなくたって別に悪くないよねという傷の舐め合い記事です。

連休はレジャー?趣味?そんなの無いんだけど。

連休前に書けばよかったよね、こういう内容。
連休だからといってみんながみんなレジャーに行く必要はないし、そもそもアウトドア好きじゃないし、どこも混んでるし。

とか思いつつも、出かけなかったことを後悔する自分もいます。なぜだかはわかりません。
ただなんとなく、自分の中にも連休はお出かけするもんだという意識が刷り込まれています。

連休の外出はメディアに煽られているだけ?

ここで気づいてほしいのが、連休を騒いでいるのはメディアだということ。私は今のところ、

「連休はしっかり休んで体調を整えましょう。おうちでの瞑想に取り組んでみてはいかがでしょうか。事故も増えるので外出は控え、プチ断食に挑戦してみるのもオススメですよ!」

と訴えるテレビ番組に出会っていない。やれ温泉宿だ、やれ食べ歩きだと外に出ることしか言わない。

そんなね、実際は外出なんて連休じゃなくてもできるんですよ。連休中に、体調の整え方やストレッチ方法、仕事の効率化とかの内容をもっと放送してあげればいいのに。

子供との時間?連休にしか子供と触れ合えないならそれこそ問題だ。

子供が休みだから…という理由で連休に無理をして予定を立てる人がいる。外出しようとする人がいる。
けれども、なぜ連休にしか子供と遊べないのだろうか。平日は学校があるから?仕事があるから?

正直、ここに問題が隠れていることに気づかない人がいる。
仕事には有休があるし、学校は休んでいいものです。

学校は休んでいいという言葉の意味がわからない人がたまにいるが、なぜ大人には有休があるのに子供には休みがないと考えるのだろうか。
子供だって休んでいいんだよ。出席率を満たしていれば大丈夫。通わせなければいけないと思っているのであれば今すぐその考えを改めた方がいい。

でないと、ブラック企業専門の社畜として育ってしまいます。休むことを恐れてしまいます。
家族でお出かけするので休みます。これだけでいい。その時間を取る癖をもっとつけたほうがいい。

全員が趣味を持っていると思うな。何もしたくない、それも趣味だろ。

何かをしたいという選択をし、そこに趣向があるものを趣味と呼ぶのであれば、何もしないでいたいという選択をし、何もしないことを良しとしている人にとってはそれこそが趣味だ。

趣味の欄に堂々と書きたい。「何もしないこと」と。寝ることが趣味というのが受け入れられやすくなった世の中ではあるが、趣味を聞かれると「無いです」と答える人が多い。

でも、実は無いのではなく、「特に何にも依存せず目の前のことをこなす以外は何もせずだらけていること」が趣味の人だって少なくないはずだ。
私はそれはそれでいいと思う。

ただだらけていることをもっと認めよう

ただだらけるというのを現代人は悪と捉えがちだ。
時間の価値を引き合いに出してくる輩もいる。

けれども、自ら選択し、だらけているのであればそれは有意義な時間の使い方であるし、誰も否定していい権利など持たない。むしろ時間に追われて余裕なく生き急いでいる人の方が滑稽だ。

時間の価値はとても大きい。それは認めざるを得ない。しかし、その時間をどう使うかは各々が決めるべきであり、誰かに何かを言われて変えるようなことではないのだ。

どれだけの時間を与えられたところで、出来ることの量は同じ。

玉子10個だけ渡されて、20kgのケーキを作れと言われても作れない。それと同じで、そもそもの材料、内側から出るものが無いのであれば、時間をいくら与えられても沢山のことをこなすことはできない。

たとえば私は連休前、あれもこれもと計画して、本を10冊読んで仕事もやってブログも書いてと思い描いた。そして初日に断念した。いやだー!となった。ただそれだけの理由で。

無駄な時間を過ごすという話をすると、今年の頭、60日ほどの無職期間があったにもかかわらず私はほとんど何もせずに終わった。私に残ったのは「生きた」という事実だけだった。

きっと私は何時間与えられても何年間与えられても、こなせる量は変わらない。やりたくねえなって思いの方が勝ってしまう。

人生は生まれて死ぬまでの暇な時間をいかにして潰すかというゲーム

人生所詮退屈しのぎ

この言葉にひどく感銘を受けた時期もあった。そのくらい人の世の時間というのは虚無であり、急流である。
自分が意味のあることだと思っていても他者にとってはどうでもよいことだったりする。それと同じように他者から見て無駄なことも自分にとって意味のあることなこともある。

大事なのは自分の時間を自分のために使う事。これはわがままに生きるというわけではなく、自分が人助けをしたかったらすればいい。ただ、人にやれと言われてやるようなものではないよという意味。

自分の時間を自分が使いたい内容に消費し、死へと駒を着々と進める。振り返ったときに何も残っていなくても、今ここにいるということに価値を見いだせればそれで十分だ。

ただ生きる。ただ生きている。その難しさ。

ただ生きるのだって難しい。明日を迎えるのだってしんどい。そういう気持ちがとてもわかる。だから私は10連休を無駄にしたり、長期休暇を無駄にしたりしても気にしない。

よく生きたな、飯も食ったし大丈夫。休み明け仕事頑張ろう。それだけで十分だと思うよ、休みなんて。
そもそもみんながみんなハワイに行くことが正義なら、国が強制してハワイに行っているはずだもの。

この連休はあくまでも「明仁さまおつかれさま。」「徳人さまよろしくお願いいたします。」のための連休なのよ。
徳仁さまに対して未だ皇太子って呼んじゃいそうだけど、これもいずれ慣れるんだろうな。

ということで、10連休何もしなかったけど、何もしないっていうのも案外悪くないし、何かしなきゃと焦ったやつの方が本当はメディアに踊らされているだけのカモなんじゃね?って話でした。