随筆

楽して生きることを目指していないと気づいて自分をぶん殴りたくなった

楽して生きたいなと思いますよね。私もそうです。楽に生きれたらどれほどいいだろうなと思っています。

ただ気づいたら険しい道に進んでいます。変な方向に、人が選ばないところにばかり進んでいます。そこで一つ疑問に思いました。

ハヤエル
ハヤエル
俺、楽な生き方がしたいんじゃないの?

自分で自分の首を絞めるだけじゃ済まず、四肢に枷まで用意して、「ハンデだぜ」とか言っちゃうタイプなんです。

それでもハヤエルならできちゃうんですというところにしか興味がわかない。そういう生き方をしてきたもんだから、現実とのギャップに苦しむことになっています。

最後に、どうすれば楽して生きられるのかについてまとめます。

楽がしたい。努力が嫌い。苦しむのも嫌い。下積みが嫌だ。

楽がしたい。努力なんかしたくない。寝てればお金が入ってきて3食コーンフレーク食べていたら健康に70歳を迎えられる。

永遠に誰かが漫画を描いてくれているし永遠に誰かが本を書くし、永遠に誰かが映画を作ってくれるから退屈しのぎなら山ほどある。

じゃあ本当に楽できないのかというとそんなことはない。

仕事をやめて生活保護になって、保護費で賄えるなるべく清潔な部屋に住んでネット環境を整えれば、食費を1か月1万円に抑える術は学生時代に身についているわけだし問題ない。

保護になったときに受ける不自由な面を今特に利用していないなら関係なく生きられるはず。こういう制度は一度受けてしまえば途中でなくなることは基本的にないはず。老人の1割負担の特例が良い例ですね。

いいよなあ、生活保護と何度思ったところでなれない。変なプライドがあるから。周りを巻き込んでまで楽できないという自分中心の生活が送れない弱さが邪魔しています。

なぜ最初からできないの?レベルアップまでの苦しみに耐えられない。

出来ない時間が苦しい。自分はこんなこともできないのか、ダメな人間だなとよく感じます。嫌味だと言われることもありますが、私が不器用なのは私が知っています。

私だって努力をします。努力をしてできるようになったことは多々あります。そして出来た人が言う「僕だって最初は出来なかったから大丈夫。」というのも私にはわかります。

けれども自分のこととなると受け入れられません。

ハヤエル
ハヤエル
なぜ最初からできないの?他の人でもできるようなことが自分にはできない、なぜ。ダサい。すぐできるようになってよ、ダサい。

そう思って生きています。結局プライドが邪魔なんです。常に勝者でなくてはならないという変な幼少期の植え付けがここに来て響いています。

負けたら消されるようなアニメばかり見ていたからこうなったんでしょうね。

人と違うことに快感を覚える。

どこか人と違うことをやることに幸福を感じることってありませんか?それが出来ている人を羨ましく思う事も。私はあります。

誰かがやってきたことが王道であり最短の近道であるとわかっていても、誰かがやってきたことをなぞりたくない。学ぶときにはそれにそって守破離の守から始めます。

でも学びではなく選択ならば変わったものを選びたくなるという心理は誰しもがどこかしらに持っていると思う。私はそれがちょっと強い。けれども上手いことできないのは心が弱いからだと自覚している。

先が見えないことには不安を覚える

全体像を把握できていないうちは見えないことにとても不安を覚えます。ゴールが見えないとどこまで行けばいいのか、何をしていけばいいのかがわかりません。

自分の最終到達地点はどこなの?というのが全く見えない。なぜこういうことが起きるかと言うと、全く知らない世界に飛び込むからです。

自分に求められているものも知らなければ、見本も見つからず、ふわっとしかイメージしか与えられない。それで私にどうしろと?金田一でも解けないようなヒントしかもらえません。完全犯罪です。

初心者というのはこういうものなんだなと思うことが多々あるので、私が誰かに物を教える時は、全体像を先に渡してこうなってほしいというこちら側からの理想像を提示したいと思います。

それでも「ハヤエルなら出来る」という特別感が気持ちいい。

変わった選択をした時、一応は自分を褒めます。それが後々苦しい道だとわかった時点で一旦叱ります。叱った上でもう一度褒めます。

安定、安心という誘惑に打ち勝って、こんな道を選ぶなんてすごいじゃないか、と。

そんな中でもやっていければ、他の人間が通っているイージールートなんて一瞬でクリアできちまうぞという発想です。

普通の人はできない、けどハヤエルならできる。けして自己評価が高いわけでも自信があるわけでもない。むしろ自信は無い。

けれどもそこに憧れがある。あの人ならできちゃうんだよなっていう存在に憧れる。

人ができないことややりたくないことをこなす人になりたい。

特別感がほしいというのは一貫して変わらない。私は特別な存在になりたいという欲が強いんだと思う。

人が出来ないことが出来るようになるとやっぱり気持ちが良いし、やりたくないことをやってあげられるような人にもなりたい。

都合の良い存在なのかもしれないけど、そこに価値は生まれると思う。

みんなが避ける道をあえて選ぶ。だから険しい。

避けるのには理由がある。大体が嫌なところだからですね。

これはもうね、ゲームが悪い。ゲームに仕込まれた私の性格。難易度の高いところやオメガ、神竜が守っているところには良いアイテムがある。

そっちを先に攻略できるなら、そこにちょっと無理して先に行ってアイテム取ってから戻ってきた方が効率が良い。

強いアイテムを手に入れてしまえばその辺の敵なんて雑魚なわけで。自分の能力をググンと上げてしまってから一気に攻略する方が楽だし気持ちが良い。

ただ、磁力の洞窟みたいなテクニカルな罠は例外ね。

誰もが簡単にできることに魅力を感じない。

自分にハンデを課すという話を冒頭でしたけれど、難しいからこそ感じる出来たときの快感ってありますよね。すげえ損な生き方なのはわかっています。

効率を考えるとなるべく楽にサッとこなしてどんどん先に進むのが良いのはわかっています。わかっているけどそれじゃ面白くない。

人ができないからやる価値がある。誰かが出来るなら誰かがやればいい。誰にもできるなら他の人にやってもらえばいい。そういう考えで生きてきたから楽が出来ない。

誰もが簡単にできるようにすることには魅力を感じる。

誰かがつまずいたときに簡単な道を用意してあげられる存在にはなりたい。人の行きつくところは大体教育なんだなって思う昨今のわたしです。

難しいな、苦しいなと思っている人に方法を提示してあげてより簡単にこなせるようにしてあげるということに楽しさをおぼえます。

そんなやり方があったの?というのを見つけられたらすぐ人に教えたくなります。

そこはもう私が一旦つまずいたところだから、後続のために均しておいた道がありますよと言ってあげたい。一人がつまずけば十分なら、私がつまずく係を担えばそれで済む。

もっと簡単にできないかなと悩んでいる人に簡単な方法を提示してあげるために私は頭を悩ませたい。

まとめ:楽して生きる方法。楽ができるなら楽をした方がいい。

  • 生活保護を受ける。あるいは家賃等支援してくれる人を探す。
  • 固定費を極限まで落とす。衛生面にだけ注意。
  • 働くなら誰でもできることしかやらない。代わりがいる安心感を重視。
  • 6万で生きられる暮らしをすればお金も貯まる。
  • こだわりを一つに絞る。他はどうでも良くする。

これが楽に生きる方法です。できるだけ自分が何もしなくてもいい状態を作りだして、残った時間をすべて退屈しのぎに使います。

楽に生きられる人は楽に生きた方が良いと本当に思います。そのほうが人間らしい生き方だからです。

哲学は暇だから生まれた文化と言われますが、まさにあそこが行きつくべきところだと思います。衣食住に困らず、娯楽に精を出して何が悪いんだと。

労働の義務は最低限満たしていればいいと思いますし、保護制度がある時点で義務とは言いづらいかなと。本当に義務ならその人の状況に合わせた仕事を国が与えるべきだと思いますし。

結局、自分で自分を追い込んでいくから私には苦しい道しかない。

私は性格的に楽できません。のびのびとしたいという欲はあるくせに、追い込んでしまう。生き方の癖みたいなもんで、何かをきっかけにがらりと環境を変えでもしない限り変わらない。

それこそ刑務所や病棟などで軟禁されて何かをするということを拘束されない限り何度でも繰り返してしまうと思います。口では楽がしたいというくせに。

結局じゃあ楽がしたいってのは何がしたかったんだと言うと、痛みを感じずに快感を得て満たされた状態になりたいということなんだろうなと。

決断するのが苦手な私に自由なんてそもそも要らなかったんです。与えられた課題、見つけた課題をどうしたら面白くできるかなというのを考えながらすごし、悩み苦しみながらこなしていくというのが私に合った生き方なのかなと思います。

書いてて思ったけど、ほんと損な性格だよね。