ちょいと言わせて

「もう無理」から少しだけ変わった考え方。

「もう無理」から少しだけ変わった考え方。

こんにちは、ハヤエルです。
さて、いきなり本題。
ブログ書くのって結構しんどくないですか?

このしんどさにも色々ある。

  1. 適当な記事をアップしたくないという意地
  2. アイキャッチ画像を作るのが面倒
  3. 記事内用の写真を撮っていないし加工もしなきゃならないのが面倒
  4. 紹介したいくせに商品リンクを取ってくるのが面倒
  5. PCの前に向かう習慣が無い

私の場合は大体上の5つ。
意地の部分はプライドと言えば簡単だが、見栄っ張りなのが影響している。
格好悪い姿を出したくない。なぜか。誰が見ているかもわからないのに、なぜか。

ここまで読んでいただいていて大変申し訳ないが、今回書くのは解決策ではない。
「こうすれば簡単に書けますよ!」だなんて嘘ぶいた記事は世の中に山ほどある。
なにより、私もそういう甘い言葉に騙された口だ。
甘い言葉と言えど水あめのようにこってりしていればまだ味わえるものの、大抵がスティックコーヒーのような香りだけそれっぽくしてひどく薄い質の悪いものばかりだ。
とはいえ、そういうものを否定するわけでも無い。

面倒くささはブログに限らず

2~4についてまず書きたい。
面倒くささの退治は正直難しい。どう向き合うかが重要だ。

  • アイキャッチ画像を作るのが面倒
  • 記事内用の写真を撮っていないし加工もしなきゃならないのが面倒
  • 紹介したいくせに商品リンクを取ってくるのが面倒

ここでまず気づけるのは、文章を書くことは面倒だと思っていないということだ。
元々文章を書くのが好きで始めたブログであり、過去にも様々な媒体で書き、様々な理由でやめてきた。
手書きのノートも何冊も持っており雑記ばかり書いている。
書くことに面倒くささはない。ただ意地のせいで書くことへの抵抗がある。この点については後述する。

さて、ではどう向き合うか。
アイキャッチ画像や記事内の写真、紹介用リンクは無ければ困るものだ。
アフィリエイトをやりたいのであればかなり重要となってくる。
ここに攻略の糸口がある。

無ければ困る→あったらより良い=無くても出来る

この式を導ければこっちのもの。
つまりこの面倒くささとの向き合い方はこうだ。

<div class=”concept-box1″><p>

基本的に画像とかリンクは使わない

出来る気分の時だけ入れればいいし、気が向いたときに追加すればいい

</p></div>

これで2~4の全てが解決した。
要約すると、書けないときに最高の物を目指す必要なんてなく、書きたいなという気持ちを止めないという点にだけフォーカスすると楽になるよというだけの話。

 

生活の導線にPCを用意する

作業用スペースだの書斎だのに憧れがある。
作業用のデスクとか機材揃えました~とか。

わかる、確かに格好いい。
けれどもその人たちの記事を見てみてほしい。
格好いい記事書いてる?
同じ収益は欲しいかもしれないけど、自分が書く記事の完成形ってそこ?

私の場合は違った。ブログで稼いでいますという収益の話は羨ましい。
こういうのを書けば大丈夫というのもわかる、羨ましい。
なんならその記事で利益をあげて暮らせるメンタルが羨ましい。
とか言うとただの悪口になってしまう。脱線したので話を戻そう。

  • PCの前に向かう習慣が無い

書ける人間というのは、実は環境に関係なく書ける。
だから集中用のスペースや環境を用意する必要なんてない。
今この記事をここまで読んでくれているあなたは、きっとこっち側の人間だ。
やればできる、手を付ければできるんだけどなあというタイプだろう。
そう、始めてしまえば早い。なら極力始めやすい環境を作るというのがこの章のテーマである。

書き物がしやすい作業がしやすいデスクがあるが、そこにPCを置いたら作業しなくなったので、ストーブと台所の近くにPCを移動した。
帰宅してすぐPCが目に入り、料理をしても飲み物を取っても目に入る。
書こうと思っていなくてもPCがそばにあることで、電源を入れようかなという気になる。
PCを触ると、ブログへの愛着からブログを見に行ったりアナリティクスを見たりする。
少し記事を書いてみようかなという気にさせられる。
これを続けることが大事だ。

書くのを続けるのが難しいなら、PCを触ることを続ける。
習慣化のハードルは下げるに越したことは無い。
環境というのは後でいい。ただ、未だに書斎には憧れている。

スマホに逃げるな

いつでもどこでも手を付けられるようにと言うと、スマホでも更新できます!という記事にあたることがある。
普段からスマホで更新している人ならそれでいい。
ただ、書く環境を変えたとしても、書き方のスタイルだけは変えない方がいい。
なぜかというと、呼吸が止まってしまうからである。

始めるのに苦労するタイプが一旦始めたものを止められてしまうと、再開するのに時間がかかる。
今まで書いていた文章とちょっと雰囲気が違う気がするなあと気になり始め、その記事自体をボツにしたくなる。
移動中にスマホで~というのは確かに楽かもしれないけど、それなら普段からスマホでしか書かないようにした方がいい。
選択肢をいくつも持つことにより利便性は増すように思えるが、どこでもできるという考えがかえって甘えを生む。
そして書かなくなる。

安心してほしい、全て実体験に基づいて言っている。
スマホにアプリをインストールしスマホで書く環境も整え、Evernoteも入れた。
iPadでも書けるようにとワイヤレスのキーボードを購入した。
手書きで書き留めておいて後で打ち写す用に紙のノートと謎の心機一転用のペンも買った。
結果、すべて使っていない。
書くスタイルは変えないことを強く薦める。

 

見栄っ張りとの戦いは永遠に続く

  • 適当な記事をアップしたくないという意地

最難関の課題が見栄っ張りであることだ。
恥ずかしい思いをしたくないという気持ちが何よりも先行する。
格好悪いところを見せたくない、負けなくないという気持ちが強い。
でも負けず嫌いとは少し違う。
勝ちたいのではなく負けたくないのだ。

ただじゃあ、この適当かどうかというのは誰が決めるのか。
良い記事か悪い記事かというのは誰が判断するのか。
読者か?今読んでいるあなたか?
本来ならそうであるはずだが、実は今向き合っている問題においては違う。

良い悪いを決めるのは全て内なる自分である。

一気に宗教っぽくなった。内なるというのが宗教っぽい。
自分のことを大天使と呼んでいたのを今思い出したが宗教っぽい。

前に記事を書いたが「インナーマザー」というらしい。
自分の中で勝手に作り上げられた母親的存在。
それはいいこと、それはやめなさい、そんなことしてはいけない。
そうやって誰に言われたわけでも無いのに判断していることがある。
それがインナーマザー。

じゃあこいつを金棒でなぶり殺すしか手はないのかというとそうでもない。
そんなのは大変すぎる。人生かけて戦わなきゃいけなくなる。
戦うのは面倒だし、負けたくないからそもそも戦いたくない。
ということで別のアプローチをする。

書きたい気持ちを止めないことを最優先する

結局のところ、ブログを書きたいのだ。
更新がしたい、記事を書きたい。なんなら毎日書きたい。

  • けれどもあれもこれも準備しなきゃいけないから書けない。
  • ちゃんと画像用意していないからまだアップできない。
  • 質の良い記事じゃないとダメだと書いてた。

こういう感情が邪魔をする。
完璧主義と一括りにすると楽なのかもしれないけどそこまででもない。
これらがパッとそろうならたぶん書ける。
というか、すでに書ける。けどアップできるような記事にならない。
自分含めてそういう人に言いたい。

書きたいなら書いちゃおう。採点する人なんていないから。

ブログは提出物でもなんでもない。
書きたいなら書く、それでいいのである。
あなたがスーパー有名ユーザーで、公開したら8億人に読まれてスクショされてDMで点数が送られて来るというのなら話は別だ。
けれども、居ても知り合い数人、そうでなければたまたま検索でたどり着いた人に読んでもらえる程度だ。
実はそこまでハードルを上げる必要もない。

あとから修正?したってかまわない。
修正前の魚拓を取って、「修正されましたね?なぜですか?」なんて聞いてくる人なんていない。
そう、いないのだ。
じゃあなぜいるような気がするのか、どこにいるのか?
その答えが内なる自分なのである。

宗教っぽいな。内なる自分の声に耳を傾けよ。やはり宗教っぽい。
この言葉、よく聞くし、そうあるべきだと言いがちだけど注意が必要。
あなたの内なる自分の声は「書きたいけど不安だ」というものだけ。
こいつの声だけで十分だ。
あれはよくない、まだ早い、そんなんじゃ質が悪いという声は無視でいい。
その上で書きたい気持ちに体を預け、好きに書かせてあげるとよい。

こうして出来上がった記事には気持ちが乗っているから伝わりやすいし読みやすい。
必要なら、気分が乗ったら画像を追加すればいい。
アップロード(公開)した後で。

より良くありたいという気持ちはある

ブログの面倒さとの向き合い方

・画像やリンクは入れなくていい。

・PCを触る機会を増やす。

・書きたい気持ちを優先する。

いかがだっただろうか。これがブログの面倒さとの向き合い方だ。
書きたいとか更新したいという気持ちがあるならそれに沿う。
実はこれが一番満足度が高くなる。

もちろん適度に画像を入れたりタイトル気にしたりできる人はすごい。
自分だってそうなりたい。もっと良くしたいしもっと見られたい。
けど誰もが最初からそうなれるわけではないということに気づくのが大事。
私だってなれることなら大谷翔平や藤井聡太になりたい。

質の良い文章の方が検索に乗りやすい、SEO的にも良いというのを何度も見た。
けれども、書きたがりにとってはそれは無意味だと気づいた。
あれはどうしても書けない人たちに向けての救済措置である。
書き始めさえすればいくらでも書ける我々とは異なる。

たとえSEO的にも検索的にもアフィリエイト的にも不利だとしても、
自分が納得のいく文章を出し続けたい。
今のあなたのように、いつか誰かに読まれたときに面白かったなと思ってもらえるように。

繰り返していけば自信もつくし、見栄も薄れる。
そうなると信じて続けていくしかない。

その子はきっと面白い

何でもいいからブログ書け。みたいなことは言わない。
でもきっと同じように悩んでいるあなたの文章は面白い。
あなたから生み出される言葉はきっと面白い。
あなたの作ったブログも面白い。

けれども、きちんと書き出してあげないと消えてなくなってしまう。
刺身と同じでアイデアや言葉はその時の感情が乗る分鮮度が大事だ。
だから面倒なことは一旦置いておいてまずは書き出してほしい。

誰も読まない?大丈夫、あなた自身が読者だ。

 

あとがき

休憩無しで一気に書いたが気づけば4000字を超えている。
救いと言ったら大袈裟だが、検索しても同じような人の文章に当たらなかった。
どこか自分が一人きりのような気がしていた。

だからこうやって書くことで、誰かの安心に寄与できれば大満足。
なんなら未来の自分が迷った時にこのページにたどり着いて、一人じゃないと感じられたら十分だ。

hayael.comの雰囲気も変えていく

継続して読んでいない方には関係のない話だが、このブログの見た目とかがかなり前から変わっていない。
記事更新数も減ってしまったが、ぼんやりとしたコンセプトがあるせいでどんどん追い込まれてどんどん書けなくなってしまった。
なので徐々にコンセプトをずらし、雑記ブログみたいな形にはなるが、書く機会を奪わないような場所に変えていきたいと思う。

文体もである系のほうが書きやすいし読みやすい。
できる範囲でちょこちょこといじろう。見た目も中身も。