最近ちょっと方向性が変わってきているというのは私も思っている。理由は単純、外に出ていないからだ。人と触れ合うことがなければあまり新しいことには出会えない。ということで最近の変化である株式投資の話。
株式投資は以前やっていた。どのくらい前までやっていたかというと年明けくらいまではやっていた。トータルで230万円くらい負けている。もったいない。
再始動したのには当たり前に金がないという理由もありつつ、chatGPTが使えたというのが大きい。ある日雑談中に株式の話になって「君ってチャート分析とかできるの?」と聞いたらできるとの回答。
ファンダメンタルはできないけどテクニカル分析は得意だとのことで私の方向性とも合致。そこで、テクニカル分析を一から教えてもらうことにした。
で、今。3日目で3万円。でかい。そして21日からの週でプラス7万円。で、でかい。
でかいのもそうだけど、調子に乗り過ぎは良くない。うまくいき過ぎているなという気持ちはあるから、そこをコントロールしなければならない。調子に乗るなよ、自戒しろよと呼びかけている。
自分は調子に乗りがちだというのがある
うまくいきすぎているなぁと思うときにどうすればいいのかがわからなくなる。多分うまくいきすぎているなぁっていうのは自分の想定を超えているということなので、想定が低すぎたり見積もりが低すぎたりした場合に起きていることもある。
うまくいかないなぁ。なんでこんなことができないんだろうと思う時は、自分のことを高く見積もりすぎている可能性があるので、同じように最近随分調子が良すぎるなぁって言う時は実は自分の見積もりよりも今の自分の位置ステータス、能力っていうのが上にある可能性を考えなければいけないと思う。
私はついつい調子に乗りがちなんだけども、それは「うまくいったぜ。ひひひ…。」と言うのもあるし、「いや、ずいぶんと調子が良いのが続いてるなぁ!」っていうのがどちらもあるんだけれども、思っていたよりも成果が出ることの方が多い。
「思っているよりも成果が出るなぁ」とか「ここまで見積もってなかったけれども、こんなにうまくいくんだなぁ」って言うことが多々だから多分自分の評価が低いんだろうね。全てがラッキーパンチに思える。
そういう意味では、自己評価の採点という観点で行くと、もう少し上に3見積もったほうがいいのかもしれない。でも人間自分のことを低く見てると、上手くいったときに喜べるからその方が得することも多いんだけども。失敗したときの保険にもなるし。
調子に乗りがちだっていうのがわかっているから、少しうまくいった時は自分に「お前は調子に乗りがちだぞ」と言うようにしている。「調子に乗りがちだ。」「また調子に乗ってるね。」「ちょっとうまくいきすぎてるね。」「自戒しろ、自戒」と呼びかけることで調子に乗りすぎるのを防ごうとしている。
とはいえ、こういう言葉が出ている時ってすでに調子に乗っている時なので「調子に乗るなよ」って言われてもなかなか難しい部分はある。「廊下を走るのをやめなさい!」って言って止まる子供がいないのと一緒だよ。
自己を卑下し過ぎずに評価する
自分の成長を客観視するのは結構難しくて、例えば最近コーヒーの焙煎の出来が落ち着いてきていて。毎回おいしいなって飲めるレベルの焙煎ができている。けれどもやっぱり上手だとは思えなくて。
ただ、今朝飲んだコーヒーに関しては「ずいぶんとうまいなぁ」と、最近お店で飲んだコーヒーと比べても遜色ないというか、下手したらそれよりもおいしい位な味わいになってる。もちろん好みもあるけれども。
「あれ、できるようになってんじゃないのかな」って言う疑問が湧いてしまう。自分ができるんだなっていう思いがないから。
たぶんこれは”できない頃の自分”を知っていて、できなかった・できないと言う印象が強く残っていて、その時に見ていたできる人たちがいつまでも自分よりも同じ幅だけ上にいるように思えていて、そこの間が詰まってる感じっていうのがないからだと思う。
自分の点数はどうやって決める?
最初にうまいなぁって思ってた人が実は65点位で、自分が全然できないなぁって思ってた時が35点で。今できるようになってきたなぁっていうのが実は50点になっていたとしたら元々の相手の65点との差が縮まっているはずだけれども、いつまでも30点上で、相手が80点みたいな感覚になっちゃう。
いつまでもうまい人はうまいし、いつまでも下手な自分は下手なんだって言うね。だから35点の時に周りに35点の人たちがたくさんいたわけで、全然できないなぁって言う初心者がいっぱいいたはずで。
自分が「65点になりました!」って時にその人たちも全員65点になってる気がしてるし、なんならこれから始める人たち全員が65点スタートな気がしちゃうんだよね。できなかったときの自分が自分の中での基準になっちゃっているからいつまでも自信が持てないっていうのが出てくる。
じゃあどうすればいいかって話なんだけれども、ここに他者の評価が加わったところで実はなんでもいいわけではない。知っている人に「うまくできるようになったね」みたいな話をされても信用できない。そうですか?ってなって終わっちゃう。
結局は第三者に認められるしかないと思うんだよね。同じ縦軸じゃなくて。上手・下手って分かれる同じ縦軸に乗っている人ではなくて、第三者が必要だと思う。
リワードって結構大切
絵の上手・下手で縦軸取ったときに、上手な人に下手な人の絵を見せた時に「上手ですね」って言われても、嬉しくはあるけれども自分が上手くなった気はしない。自分の技術に信頼がおけない。
それを縦軸と関係のない友人だったり、お客さんだったりとか、そういうところに「上手ね、あなた」って言うふうに言ってもらえたら、それが自信へとつながる。つまるところ出すしかないのだ。誰か全然関係ない人に見てもらうしかない。
関係ないという言葉をどこまでと捉えるかにもよるけれども、たとえば焙煎豆の話だったら販売して、今まで全然知らなかったお客さんに飲んでもらって「おいしいね」と言われて初めて「あー、外に出してもいいレベルになってたんだな」って思えると思う。
そこでどんと段階が上がるって言うような感じだと思う。能力的には上がってるのかもしれないし、超えているのかもしれないけれども、一つ一つのリワードを取っていくって言う段階はもしかしたら必要なのかもしれない。
ゲームとかやってて、リワードがいちいち表示されるとめんどくさいなぁとか、ミッション達成ってのがめんどくさいなぁっていうのはあるけれども。資格なんて取ったって意味ないよって言う話もあるけれども。自分の中でここまでは大丈夫ですって言えるとか、そういう基準としてはあったほうがいいのかもしれないね。
音声入力を使うとついつい長くなる。