てんきた

応援されるより応援するのが楽しい【vol.17】

天界から来ました。

人に物を買ってあげるのもそうだけど、人ってもんはされるよりしてあげる方が気持ちいいもんなんじゃないかと思っている。自分のためとなると渋ってしまうようなものも人のためであれば結構簡単にお金を使ってしまうし。

私が良いかっこしいだからというだけの理由じゃない気がする。というかそうでなくては困るからそういうことにしよう。

大天使ハヤエルの天界から来ました。vol.17

応援が好きな奴は大体気持ち悪いナルシストだ

応援についてはちょっと違うと考えていまして、応援する側ってどうしてか応援される側を見下している節を感じませんか?いや、心の底から応援しているのよ、本人は。

がんばれ、負けるなって。でもなんとなく応援されると、「(お前はまだそんなことすら達成できていないんだな、早く済ませられるように)がんばれ。」と聞こえてしまう。

加勢する意味の応援だとするならば、もうしてくれた方に対して感謝しかわかないけどさ、エール的な意味での応援は、なんというかまっすぐに受け止められない。

というかそもそもエールの種類というのもないか。頑張れ以外のジャンルを聞いたことが無い。いけ、負けるな、しっかりしろ、歯を食いしばれ、俺は今からお前たちを殴るとか色々あるかもしれないけど、結局はがんばれ最強説。

あれかな、頑張れ含めて命令調に聞こえるのも良くないのかな。応援される側が手下みたいになる。「頑張ってください。」と丁寧に言われたところで、姫君から家臣へのお言葉を御頂戴奉りマクリマクリスティみたいになるし。

「はい、ハヤエル君が頑張れるようにと思ってお守りね。」みたいな、ありかすちゃん(有村架純)に似合いそうなシーンとかよく見かけるけど、あれも持ってお行きなさい的な上からな感じがするし。

選手たちも言うじゃない?「みなさんの応援のおかげで勝てました。」って。ということはやっぱり、応援はいただきものであり、応援はされる側が下なんだろうか。だからこう、応援してやってる自分に酔う部分があって、応援する方が気持ちいいと。なら納得がいく。

そもそもの話、頑張ってほしいというのもエゴであり、押し付けでしかないんだから応援というのは賞されるものではないはず。それを全校生徒を参加させた応援でしっかりと声をあげなかったりウエーブのタイミングで立たなかったりしていた私を叱った先生や同級生のことは正しいとは思わない。

たとえ私が今30歳になり忖度という言葉を「へえ、そんたくって読むんだあ」とわかっていたとしても、その行為を正しいとは思わない。いわば悪魔の照明だ。

 

応援というよりは鼓舞するような物の方が見ていても気持ちいいよね。士気を上げるような。あれ、それが世の中で言うところの応援か。1つ勉強になりました。

 

以上、『応援されるより応援するのが楽しい【vol.17】』でした。