てんきた

おじさんでいいじゃない【vol.18】

おじさんって言うと、ずいぶん年老いたような気がして。じゃあおじさんの手前って何よっていうと、お兄さんなんだよね一応。

上から見たらいつまでもお兄さんかもしれないけど、私は新米のおじさんです。そんな新米のおじさんから、世界中のすべてのおじさんに向けて。

 

大天使ハヤエルの天界から来ました。vol.18

おじさんでいいじゃない

2018年に30歳を迎え、口では「やー、もうおじさんだよ」と言いながらもどこか受け入れられていない自分がいた。けれども受け入れる受け入れないじゃなくその時は自然とやってくるもので、こちらがミットを構えてなくても体に自然とえぐり込まれて来るのがおじさんというものである。

貯金を考え始め、親の死を意識し、保険という言葉が頭から離れず、無茶をすることに臆する。ああしていればよかったなあだなんて後悔している暇がないほどに先の予定に追われ、近い未来も遠い未来も特に照らされることのない景色を思い浮かべなくてはいけなくなる。

 

かくして私はおじさんになったのだ。はいどうもおじさんです。もっと上のおじさんもいるし、もっと早くしておじさんになった人もいる。ベテランのおじさんから見たら「まだまだおじさんだなんて言うのは早いよ」と言われるかもしれないけど、新米というのはどこの世界もそういうもんで、誰が何と言おうと、本人が何と言おうと私はもうおじさんだ。

 

おじさんとなったからにはまず、陰うつから卒業しなきゃいけない。毎朝起きて悲しくなっている場合じゃない。それは若者の役目であり、おじさんは朝の様子を見て「ちゃんと飯食ってるか?」とそばにいるねアピールをしなきゃいけない。

いちいち過去のことでフラッシュバックしてなんかいられないから、きちんと過去と向き合い、恥ずかしさやみっともなさの無い生き方をしないと、自信を持って生きられない。この年になって自己紹介もできないとなるとどうにも格好付かないから、そこは今のうちにきちんとフォローしておかなきゃいけない。

 

それと共に冷笑や揶揄することからも卒業すべきだ。おじさんというのはそればかりではいけない。批判して生きていけるのは若いうちだけ。なんでもいいから目の前の物に不満を持って、あれが悪いこれのせいだ周りが悪いんだって叫び続けていていいのは若いうちだけ。

おじさんはそういうのを、「まあそうはいってもな」とたしなめる係をやらなきゃいけない。これってのはどこかで「あ、自分はもう若くないな」って思った瞬間から始めることで、おじさんとしてタグ付けされたら負わなきゃいけない責務なんだと思う。

 

「笑い」もそろそろシフトしていかなきゃならない。斜に構えているのももう終わりにして、すごいものをすごいと褒められる人になるべきだ。周りを認め、自分を認める。認めるというのが大切。

tiktokをやらなくていい。Youtuberになる必要もない。けれども、彼らがしていることを批判するのではなく、流行っている理由を考え、そこを自分の人生に転用するようになるべきだ。

「tiktokってあるじゃん?あれ見てて思ったんだけどさ…」って新しくビジネスの提案してきたら格好良くない?何より、どんなことも受け入れられる心の広いおじさんの方が格好いいから私はそうなるべきだと思う。

 

しかし、怒りはやっぱりエンジンであり、妬み嫉み恨み辛みがガソリンであることには変わりなく、そこが自分の原動力であるというのはいささか格好悪いが、どうしても卒業できなそうな私自身の幼さでもある。大人が持っている少年の心というやつだ。

おじさんだからと言ってなんでも諦める必要はない。内なる炎は燃やし続け、密かに冒険は続けてもいいんだ。むしろおじさんだからこそできる冒険がある。

 

おじさんは一番楽しい。そういう期待を持って過ごしたい。背中を丸めて下を向いて肘ついて、伸ばした手の先にビールジョッキがあるだけがおじさんじゃ無いんだよ。

ある程度色々経験してきて、あれはあんな感じか、そんな感じかってわかっている部分が多々ある。それでもなおまだ経験したことが無いことだらけ。今までだったら飛び込めなかったことも、危険性がきちんと理解できていれば対策が取れる。お金もあるから安全と経験をある程度は買える。

 

おじさんだから楽しめるんだよ。おじさんだって成長できるんだよ。

だから私は思うんだよね。「おじさんでいいじゃない」って。

 

以上、『おじさんでいいじゃない【vol.18】』でした。