てんきた

【てんきた】10年後の俺がすげーやつならそれでいい【vol.22】

天界から来ました。

人と比べるなとか、今できなくてもいいじゃないとか、色々言うけどさ。結局一番伝えたい人に届いていないんだよね。そう、自分に届いていない。

ほどくら内の生き方・哲学のところに書いてある自己啓発系の内容は、基本的に記事を書いた時点の自分に向けて書いています。私が一番詳しく知っているダメな奴ってのが自分なのです。

結局私という人間はまだ何も成し遂げていなくて、それなのに恥じることばかり覚えて、つまらないプライドを抱え込んで生きている。

  • 恥じること
  • 見栄を張ること
  • 恐れること

この3つがずーっとずーっと人生を邪魔してくる。「恥ずかしいです」と自分に対してすら言えないからぐちゃぐちゃになる。

失敗リストを作ったり、恥ずかしいことを認めることで次のステージに行けるというのがわかっているからどうにかして克服したい。もう何回言ったか分からんけど。

毎日毎日、すげー人になりたいなあって漠然と思っていて、じゃあそれに向かって一歩でも進んでるのかと言われると、本を読んだりブログ書いたりしてるけどどうかなって悩むことがある。

というか、悩むことしかない。今回の記事は夜に書いているので、少し後ろ向きな文章となっております。そしてちょっと長めになる。たぶん3000字くらい。

大天使ハヤエルの天界から来ました。vol.22

今できないことを恥じたくない

できないことができるようになった経験って記憶としてどのくらい持っていますか?

戦略的に何かが出来るようになったという記憶がもしかしたらないかもしれない。

ちょっと出来るものが出来るようになったことはあるけど、その「ちょっと」の部分が無いときは本当にダメ。

幼少期の話でいくと、鉄棒ね。鉄棒は初めから全くできず、ぶら下がれるのもマックス8秒くらい。結局前回りもできるようになりませんでした。

生理と出産以外のことは全部できるようになりたいんだけど0を1にする努力ができない。そこを耐え忍ぶ精神力が私にはない。

みんなが初めからできたわけじゃない

よく言うじゃない?みんな最初からできていたわけじゃないんだよって。

でも、自分が今できていることで、初めから全くできなかったことができるようになった記憶というのが無いんだもの。

みんなはそうかもしれないけど、私の場合は初めからちょっとはできないと良くならないのかもしれないじゃないか。

自転車は割と早い段階で乗れたし、乗れるようになってからも転んでる。勉強だって今までやってきたことで全く知らなかったことってのが無いもんね。

なんというか、成功体験が圧倒的に足りない。わー、やった、できるようになった!というのが全然ない。あるのは出来なかった記憶だけ。

だから少しできないとあきらめたくなる自分がいる。

できるようになるまで我慢したい

結果が出るまでは努力が必要だし、時間もかかる。それは頭ではわかっているけど耐えられない。でもそういう自分を変えたい。

だから私はこのブログを続けて、月に10万人が見に来るようなところにしたい。そして、年間で1万人くらいのてんきたファンができるまで、粘り強く続けていかなきゃなと言い聞かせている。

実際は無駄なのよ。何してんの?ってなる。毎日ブログと向き合ってさ、大した見に来ないってことは価値が無いってことじゃないか、って。

そんなことよりも薬剤師の資格使ってバイトしたほうが金になるぞって自分でも思う。

けど、そこで得た金とか、そこに使った時間ってのは、別に自分の人生に価値を与えてくれるものじゃないと思うんだよね。

苦手だな、できないなって思うことと向かい合って、全く価値のないと思われているこのブログを作っているのは自分なんだぞと認めてどうにか良くしよう人の役に立とうとする姿勢の方が、私にとってはプラスになると思う。

詐欺られて騙されてばっかりいる人生

お得なことが好きな癖に、実は詐欺られてばかりいます。騙されることもあるしお金を取られることも多々あります。

払わなくてもいいようなお金もたくさん払っております。

結局自分に自信がないから流されてしまうんだろうね。

最近はDaiGoのyoutubeに影響受けまくってます。言われたことですぐできることは全部試してる。いいことかどうかはわからないけど、悪いことじゃなきゃいいなと思ってやってます。

良くなりたいっていう欲が止まらないのは、現状に満足できていないから?じゃあ満足できない理由はと言うと、自分よりも良い状態の人を沢山見ているからなんだよね。結局は嫉妬が根本にある。

結果として「のびのび生きる」というテーマから離れてんじゃないかとも思うんだけど、時間がこんなにあるのは現状だけだってわかっているからインプットにものすごく力を入れてる。

本当はアニメ一気見とかしたいけど、それは仕事が始まってからの息抜きに取っておこうかなと思って。

人に勧められた本はすぐ読むし、やってみた方が良いと言われたらやってみてる。勧められたサービスも使ってみてる。

これは前に自分の行動力の無さを憂いていた経験が元になっていて、なんでもすぐやる人ってすげえなって思っていた自分がいるから、できるときはすぐ飛びつくようにしている。

もしもう少しお金があったら、飛行機に乗って晩飯だけ食べに行くようになるかもしれない。少し怖いように思うけど、そのくらい余裕持てたら人生観変わりそうだよね。

恥と恐れさえなければ無敵になれる。

恥じることと恐れることが自分から消えて見栄を張ることをやめたときはじめて無敵になると思う。そうなったらほんとに無敵だよ。

後ろ指さされるような気持にならない方法ってのが必要。これがあることによって何するにも制限がかかり、自己嫌悪に陥る。自己否定の原因。

どのくらい恥じてて恐れているかと言うと、質問の手はあげられないし、おなか痛くても手を上げてトイレに行けなかった。

実際はそんなことないんだろうし、自分だったら「大丈夫?」と声をかけると思う。質問した人には感謝することはあれど、迷惑には思わない。

けれども、自分に対する自分の目が一番いやな奴なんだよね。だから思い切ったことができない。現実に起こらないことを不安に思ってしまう。これをやめたい。

こういう人間だから書けることがある。だから書く。

私は「~したほうがいい」と書くけど偉そうに言っているわけではないのよ。

自分を基準に、自分に対して直したい部分の解決策を探して、調べて、学んで、1年前の自分が知ったら少しでも心が楽になるだろうなと思うことを書いています。

私の性格的に、不安に思ったことはすぐGoogleで調べて、実行するかは別としてすぐ解決策を探すから。

生き方・哲学のカテゴリは同じ気持ちの方が少しでも楽になってくれたらいいなと思って書いています。

40歳の自分が感謝してくれるように今を生きる

10年後になったときにできることが増えてたら、もっと高次元でやりたいことが増えていて、考える世界も見てる世界も全然違うものになっていると思う。

今から頑張って貯金して金を残しておいたからって、40歳の私は喜ばないと思う。金は金でしかないし、その時に300万もらったって大した価値などないし。

もし月にプラス50万生み出せるような力を付けていたらどうだろう。何も成長していない私が10年かけて貯め込んだ300万はたった半年で回収できてしまうんだよね。

価値です。欲しいのは価値。RPGだって最後にお金は要らなくなる。人生ゲームだって能力がお金に換金される。必要なのは能力であり人としての価値なんです。

20代の私は、国家資格を取ったり、ベッドや椅子などの高い買い物をし、就職も退職も経験した。結果として生きる力を付けてくれました。

30代の私は人間的な価値を高める時間を過ごさなければいけないよね。それが20代の私に対する礼儀だと思う。

では具体的に何をするかというと、恥と見栄と恐怖を克服することしかないと思う。幼少期からずっと戦ってきている問題だからね。

無理だというのは簡単で、無理だとあきらめる方が無理じゃないと信じてもがくよりもずっと楽なのはわかっている。けれども頑張らずにはいられない自分がいるよね。

変な話だけど、ポジティブな苦しみってのは逆に楽しそうな側面を持っている気がする。なんとなくワクワクする。

以上、隣の芝生が青いならこっちは紫に染めてやろうぜって話でした。恥と見栄と恐怖を克服する方法見つけたらシェアします。

 

以上、『10年後の俺がすげーやつならそれでいい』でした。