自分をダメだと思う必要はない。そのままでいいとは言わないけども。
結構追い込まれると自分のことをダメだと思っちゃう。
ダメだと思わなくてもいいんだよとも伝えたいけど、
ダメだと思うことも悪いことじゃないんだよとも言いたい。
なんか結構しんどいんだよね、ダメだと思っちゃ駄目だとか、
自分を責めちゃいけないとか。
ネガティブなのは悪いことだとか。
変えた方がいいとか。
いいのよそんなこと気にしなくて。
嫌だなと思っても、急にどうにかなるものではないし。
毎日ダメだなと思うし、変わりたいと思うし、
こうしたらよくなるよなってのもわかってるけど、できないよ。
でも、ダメだからって何かが止まるわけでも無いし、
ダメだと思ったからと言って税金が増えるとかではないじゃない。
なのに禁止する必要なんてないんじゃないかなと思う。
辞めたいと思っても辞められない
辞めたいと思ったことは辞めた方がいいとか、よく言うけども。
辞めたいと思ったことを辞められるような生き方はしてきてないよ。
顔色をうかがうほど謙虚な生き方はしてないけども、
こうだったらいいかなと気遣ってばっかりいるもの。
本当は辞めた方がいいとわかっていても、
もし自分が相談相手だったらそうアドバイスするとしても、
実行できる人間ではないのです。
そのままだと変われないぞ、変わらないとだめだぞ。
そうやって言うけどさ、それが出来ているならもっと前に変わってるよ。
変わるっていうのはものすごくエネルギーがいるんだよ。
できないことを強制して、出来ない奴を批判するのは悪いことじゃないの?
そっちの方が良くないと思う。
出来るようになりたいなって思うことが第一歩なんだから、
もしそこを踏み出せているなら、今日くらいはトンカツ食っていいと思う。
嫌なことでも続ける。そこに意味はちゃんとある。
嫌なことをずっと続けるのは意味がないという人がいる。
嫌だと思いながらやるな、心を腐らせるぞって。
でもね、辞めれるものではないのよ、そんな簡単に。
居たくない人と一緒に居て、したくない仕事をして、
食べたいわけでもない飯を食って、体に悪いなと思う生活をして、
疲れも貯まり、ストレスも溜まる。
確かに辞めた方がいいと思う。でも、辞めなきゃいけないというのは少し違う。
辞めて変わったら今の苦しみからは解放される。
今よりは良くなる可能性がある。
けれどもさ、どれだけ嫌なことだとしても、
辞めたときに受けるダメージってデカいのよ。
いや、わかってる、そのダメージを受けてでも変わるべきだという意見はわかる。
けれどもじゃあ、そのダメージに耐えられる体力なのかは考えたことあります?
体力もメンタルも疲弊している中、良くなりたい一心で辞める。
辞めたときに訪れる空虚感、喪失感に必ず耐えられるわけではない。
耐えられなくなって元の場所を選んでしまう人もいる。
その気持ちも痛いくらいわかる。
だから、なんでも辞めろって外側から言うのは違うよ。
努力を継続して成し遂げるのと同じくらい辞めるのは難しいよ。
だってその辞めたいと思ったことは大抵の場合頑張って手に入れたものだから。
今が変わるというのはとても怖いことだもの。
そこをすっ飛ばしてなんでもやれっていうのはちょっと無責任じゃないかな。
今のままでいいとは言わないけど、無理はしなくていい。
変わりたいな、辞めたいなと思っていることがある人は、
それができなくても無理しなくていいと思います。
そしてできないからって自分を責めることはしなくていいです。
外側にちょっとだけ興味を持って、船の進行方向をほんの少し曲げる。
しばらく経ったら自然と現状と離れられているかもしれません。
何かと何かを天秤にかけて、どちらかを取らなきゃいけない人生ばかりではありません。
あっちもこっちも取れる時もあれば、両方諦めることもあります。
けど、こうしなきゃいけないっていうルールなんて無いんだから、
一番苦しくない生き方を選んでいくと良いと思う。
嫌なことがあっても、嫌な人と過ごすことになっても、
それを辞めることの方が苦しいならそのままでいいと思う。
それがあなたの人生の選択なんだから。